Message8:子供が不登校になったとき
子供が不登校になったとき

子供が不登校になったとき、
親はその原因を探そうとするのではないだろうか。
原因を突き止めて、それを解決すれば、
登校できるようになると思う方が多いだろう。
娘が高校2年生で不登校になったとき、
私もなぜ学校に行けないのか訊いたが、
「自分でもわからない」
と娘は答えた。
結果として、高校3年間のうち、2年間不登校であったにも関わらず、
(出席日数や単位はぎりぎりでクリアした)
無事に卒業して、第一志望の国立大学に合格した。
娘が学校に行けなくなった原因は、今もわからない。
それを知ることができるのは、娘だけだ。
娘がいつか、自分の人生を振り返ったときに、
何が起きていたのかを知るのだろう。
けれど、私はそれを知らなくても、
娘が自分の人生の選択をし始めたことを感じている。
大学を選んだ理由にしてもそうだ。
自分の人生を生きるために必要だと思ったから、
その大学を受験することを決めたのだろう。
これからも、娘はそうやって自分の生きる道を
自分で選んでゆくだろうことを信じている。
私には、不安は何もない。
私も最初からこうだったわけではない。
不安も葛藤もあった。
「何とか進級してほしい」
それができたら、その次は、
「何とか卒業してほしい」
そんな〈期待〉の中で揺れ動いていた。
親も子供も、常に《結果》にフォーカスしているだろう。
「学校に行けるか」
「進級できるか」
「卒業できるか」
自分の望む《結果》になることを期待しているとき、
怖れも大きい。
望む《結果》を得られなければ、失敗ということになるからだ。
私たちは、自分の持つ〈価値観〉が制限となり、自分を苦しめている。
「学校に行かなければならない」というのも〈価値観〉の一つだ。
私たちは、自分では気づかない〈価値観〉を膨大に持っている。
〈価値観〉を外し、
〈正しさ〉を外し、
「私はどうしたいのか?」を必死に考え続けた。
そして、私が行きついた答えは、
「すべては自分で選択していることだという意識を、
何が何でも娘に持たせる」
というモノだ。
娘が通っていた高校は、厳しい進学校だった。
生徒たちは、東大・京大といった一流大学を目指す。
授業にも出ていない娘には、そんな一流大学を受験することは無理だし、
普通の大学を受験することもどうか…
それも復学を困難にしていた要因の一つだろう。
私たちは、常に自分で選択している。
学校に行かないことも娘自身が選択していることだし、
このまま引きこもりになったとしても、それも娘が選択していることだ。
しかし、このままの状態では、理屈ではわかっていても、
とても自分の選択だと納得することはできないだろう。
「すべては自分で選択していることだ」
娘にその意識を持たせるために、私ができることを全部やった。
また、娘の人生はこれからが長い。
娘が今後、大学に行きたいと考えたときに進学できるよう、
あらゆる手を打った。
この時の私は、もう《結果》にフォーカスしていなかった。
卒業するかしないかが、娘の人生ではない。
私は《娘の人生》というモノに目を向けていた。
ある意味、私の意識はシンプルになっていたのだろう。
その頃、娘にも変化が起きた。
実は、ずっと優等生でやってきた娘には、
勉強についていけないなど、受け入れられない現実だった。
『勉強のできない自分には何の価値もない』
そんな風に極端に自己否定していたのだが、
その娘の〈価値観〉がボロリと外れる出来事が起きた。
学歴が自分の価値ではない、と気づいたのだ。
そこから、自分が将来やりたいことを明確にし、
それを実現するために必要な大学に進学することを決め、
一気に大学受験になだれ込んだ。
その気づきから大学合格まで、わずか4ヶ月の出来事だった。
娘の人生が、突然走り出したのだ。
私は、子供が不登校になったときの対策や、
こうすれば良いというノウハウを持っているわけではない。
ただ、不登校の原因を探り、それを解決しようとしたならば、
膨大な時間と労力が必要となるし、
そういう事態が将来また起きるのではないかという不安が残るだろう。
問題解決するのではなく、
「問題は起きていない」ことを知ること。
子供の人生を信じること。
私はそのためのお話をしたい。
娘は今、勉強が大変だと言いながらも、
友達と遊んだり、アルバイトをしたりと、楽しそうに暮らしている。
娘がどんな人生を送るのかは、わからない。
どんな仕事に就くのか、
結婚はするのか、
子供は生むのか、
何もわからない。
だが、娘はどんな時も自分の人生の道を、自分で選んでゆくだろう。
それだけは信じている。
すべての親御さんに、子供の人生を信じられるようになってほしいと、
私は願う。
