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与えることが相手の幸せでしょうか

「人にして欲しかったけれど、してもらえなかったことを、
私は人にしてあげよう」
そう思うことが、誰にでもあるのではないでしょうか。
子供の頃、誕生日を祝って欲しかった。
親からプレゼントをもらって、
ケーキのロウソクを吹き消して。
そんな光景に憧れたけれど、
親は祝い事などには無頓着な人だった。。。
だから、自分が親となった今、
子供には手作りケーキを作って、
子供の喜ぶプレゼントを用意して、
楽しく祝ってあげている。。。
親にしてもらえくて悲しかった経験があるから、
自分の子供にはそんな思いをさせないようにしよう。
そうやって、子供のために色々なことをしてあげている方が
多いように思います。
ピアノを習いたかったけれど、習わせてもらえなかった
キャンプに行きたかったけれど、行かせてもらえなかった
勉強を頑張ったけれど、褒めてもらえなかった
自分が満たされなかったことを思い出し、
子供にはできるだけのことをしてあげよう、
と思うのでしょう。
でも、それをやってみて、
「満たされた」と思っているのは誰でしょうか?
それは、あなた自身ではありませんか?
子供はそれを本当に望んでいるでしょうか。
あなたが与えたものを、子供が喜ばないとき
あなたは歯痒く思うのではありませんか?
「私はこんなに自由にさせてあげているのに、
何が不満なの!」
「私が子供のときは、
こんなことはしてもらえなかったのに!」
口には出さなくても、心の中で子供を責めるかもしれません。
しかし、もう一度考えてください。
子供はそれを本当に望んでいるでしょうか。
あなたが《してあげたい》と思うことは、
あなたが《してもらいたい》ことです。
子供がそれを望むかどうかは、別のことなのです。
自分で産んだわが子であっても、
私たちは、他者のことは分かりません。
あなたの親にも、あなたのことは分からないのです。
あなたが望むものを、
あなたの親は与えてくれなかった。
あなたが与えるものを、
あなたの子供は喜んでくれない。
それならば、あなたは『与えるとは何か』を
知る必要があるのでしょう。
あなたは、親に与えられなかったから不幸だったでしょうか?
あなたの子供は、与えられているから幸せでしょうか?
与えることが、相手の幸せでしょうか。。
通りすがりの小さな子供が困っていたら、
助けてあげたくなるでしょう。
けれど、手を貸してしまったら、
その子の成長を妨げるかもしれません。
黙って見守ったなら、その子は、
自分で何か方法を見つけるかもしれません。
自分でまわりの大人に「助けて!」と言うかもしれません。
そうやって、子供は生きていく力を身につけてゆきます。
与えることが〈愛〉ではない
それなのに私たちは、
たくさん与えることが素晴らしいと錯覚してしまいます。
世の中には、望んでいないものを与えられすぎて
苦しんでいる子供が大勢います。
親に愛されず、
愛に飢えて非行に走る子供のことはよく見えるのに、
多くを与えられすぎて苦しんでいる子供のことは、
その子が不登校やひきこもりになるまで見過ごされがちです。
与えることが相手の幸せか?
どうか、それを真剣に考えてください。
